日々の泡

書きたいこといろいろ。

【日常】ダイアログ・イン・サイレンス

先日、会社のダイバシティ推進活動の一環で、ダイアログ・イン・サイレンスに参加してきました。

dialogue-in-silence.jp

 

ダイアログ・イン・ザ・ダークの方にも興味があって、応募していたのだけど当選せず、個人的に参加するほうもちっとも予約がとれないまま終了してしまい、残念。

 

「サイレンス」にはグループで参加し、聴覚障害の方のアテンドで会場内のいくつかのセッションを、ヘッドセットで無音の状態をキープしながら体験していきます。

簡単な手遊び、表情遊びから始まり、最後はかなり高度な情報を無音状態のままメンバー間でやりとりしないと達成できないグループワークまで。

 

無音状態でのコミュニケーションには、手の動きだけではなく、表情がとても大切になります。

実感したのは、いかに自分が日ごろ表情を出していなかったか、ということ。

別にいつも無表情を演じているつもりはなかったけど、言葉が使えない状態では過剰なまでに表情やアイコンタクトで相手に意思を伝えようとし、相手の表情からも必死に情報を読み取らなければコミュニケーションできないので、集中力も使うし、とても疲れた。

相手がどこがわからないのかな?と考え、想像し、それを伝えるためには、こういうジェスチャー、動きならわかりやすいかな?と、とにかく試してみる。静かなのに、激しく動き続けることになります。

 

また、アテンドの方のお話を手話通訳さんを通じで聞く場が最後にあったのですが、なんと、彼女は2年前に聴覚を失ったばかりとのこと。とてもそんな風には見えなくて、長年、無音状態に慣れ、その状態でのコミュニケーションもすっかり体得されているような印象を持っていたので、驚きでした。逆に、この先、ある日突然聴覚を失うことがあっても、本人の覚悟と努力、環境次第では彼女のようになれるんだな、と思えて、勇気づけられました。とても素敵な方だったんです。

 

参加したきっかけは、ダイバシティ文脈のことに仕事で触れる機会が多いので、その観点から興味があったということもありますが、いま言葉を習得しつつある3歳の娘とくらしていて、言葉を使いこなす、頼り切って暮らすということの意味を考えてしまうことがよくあったので、言葉を失う体験をしてみたかった、というのも大きいです。

 

娘が言わんとすることをくみ取ってあげて「こういうことでしょ?」「うん」というやりとりがよくあるのですが、本当にそれだけなのかな?もっと広い意味のことを彼女は伝えたいんじゃないのかな?私が彼女の意思を、使い慣れた言葉に限定してしまうことで彼女の世界を矮小化してしまっているんじゃないか?ということを考えることがあるのです。

 

結局は、発話・聴力を封じたところで、頭の中では言語で思考してしまうので、その疑問の解消につながるようなインスピレーションを得るにはいたらなかったのですが、表情の雄弁さ、ということに気づいたのが、参加してみて一番の収穫でした。

娘とのコミュニケーション上はもちろん、今後、初対面の人や外国人など言葉が通じない人とのコミュニケーションにおいても、表情のもつ力をもっともっと使っていきたいな、と感じました。

 

 

余談ですが、新宿の駅に久しぶりに行ったけど…NEWomanという新しいビルが出来ていてビックリ。新南口の風景が一変していたなあ。